2020.2月課題
書譜における孫過庭の用筆は、王羲之の特徴である「側筆」「俯仰」「断筆」をより明瞭にしたものである。だから羲之の十七帖よりも書譜のほうが特徴を掴みやすい。私は筆鋒を突き立てるようにして、鋒先だけで側筆・直筆(ちょくひつ)、俯仰、断筆を行う。筆は久しぶりに西川さんの細雪を使った。白雪より鋒が長い。「学」から「乃」への連綿を一度切ったのは、二字続けて動画を撮ると保存容量がオーバーする懸念があるから、わざと二回に分けて撮ったが、勿論続けて書くべき。落款も同じ筆を使うことが大事。私の運筆は見ての通りかなり遅い。孫過庭はこんなにゆっくりと書いてはいないが、紙と筆が書譜とは違うので、孫過庭と同じ速度で臨書する必要はない。書譜の節筆は、紙の折り目に当たって生まれた特異な筆触であるが、孫過庭はわざと折り目に当てているふしがあるし、節筆を効果的に使い筆意をドラマチックに見せている。節筆を楽しんでいる。また、折り目でないところでも筆鋒の上下動を過度に行い、節筆っぽく見せている場面があることから、フラットな紙に臨書する時でも、節筆に見える運筆を行うべきと思う。節筆がなければ書譜の魅力は半減するだろう。なお、節筆という言葉は後世の人が作った用語で、孫過庭の言葉ではない。尾形
筆は西川さんの「かな用古碑」、かなり使い込んでいるから筆鋒が痩せてきた。そろそろ寿命である。かな用古碑はこの筆で三本目。私は筆圧、筆勢が強いので禿筆になるのが早い。大字(だいじ)かな節臨も俯仰をを使う。
①も②も墨継ぎはしていない。翠柳も墨継ぎなしで書くことを提唱した。墨がなくなり筆触が渇れてきても、俯仰を使えば墨継ぎしなくても書ける。そうなることが鍛錬である。私の動画を見るときは、穂先の先端の動きをじっくり見ていただきたい。尾形
かなは曲線が多いように感じるが実は、その曲線は短い直線の連続でできている。だから、なよなよした曲線、ふらふらした曲線、弱々しい曲線は美しくない。凛とした澄み切った曲線を生み出したい。それは書譜も十七帖も同じ。あらゆる書の曲線には直線の骨格が蔵されている。尾形
2月号関戸本臨書
常に穂先を突き立てる意識を持ち、穂先で紙を切るように運筆する。私の場合、紙は西川さんの末広の裏面のザラザラしたほうで書く。裏面のほうが穂先が立ちやすく筆触も料紙に書いている感覚に近い。穂先は俯仰を用いて回転や反転させながら、あらゆる面を紙に当てる。拡大鏡で関戸本を見ると、穂先の躍動の美しさに感動する。かなの臨書は必ずやったほうがいい。古筆を学べば、近代詩文書や手紙を書く時の意識、モチベーションが全く変わる。なお、私は面相筆を根元までおろして使うが、一般的に、かな筆は「固め筆」といって、根元は固めたままで穂先の半分から3分の2までおろし、3分の1だけで運筆するのが基本。おろして使わない部分は「墨の貯蔵タンク」にする。古筆臨書は必ずやってほしい。古筆は書の最高峰の至宝芸術である。尾形